【旅行記】2025年夏休み/Day6 4年越しで利尻富士リベンジを果たした日(中篇)

せっかく利尻まではるばる来たのだから、少しでも良い景色を見たいものだ。

ただ霧に包まれた稜線を歩くのは、それはそれで神秘性を感じられて面白い。まるでムジュラの仮面の冒頭シーンのように。


私は花を愛でるような感性は持ち合わせていないが、登山中のそれは良きエッセンスとなる。


8号目から20分くらい歩くと避難小屋がある。

もっとも、利尻富士では宿泊前提の登山は禁止されているため、文字通りの避難小屋である。


普通の登山者にとっては、休憩やトイレブースとして使うことになるだろう。
(利尻富士では、携帯トイレを使ってトイレブースで用を足すことになる)


目まぐるしく変わる山模様に一喜一憂しながら、旅行の終わり、神奈川に帰った後に待ち受けるであろう苦悩や恐怖を振り払うように足を進める。


山の良いところは、自分が鍛錬を怠らなければ絶対に結果として返ってくることだ。


仕事はいくら自分が頑張ったとて政治的な見えざる手によって簡単に頓挫するし、剣道は練習しても相手の方が強ければ試合には勝てず、恋い焦がれたところでジェシーとの同棲は解消しない。


だがしかし、2カ月前は登り始めて10分でヒイヒイ言っていた私が、何回かのトレーニングを経たことで、これだけの山をすいすい登っているのだ。


これは相当な自信になる。

今年に入ってからの己の愚行を顧みると死にたくなるが、少なくとも体力という意味では、1年前の私と今の私はまるで違う存在であると言える。


9号目には、8号目から約40分で到着した。

登りが苦手なことを踏まえると出来過ぎなくらい良いペースだと思う。


アドレナリンが漲っている今、最早休憩は不要だ。

ここが正念場、の文字に少しビビりながらも最後の登りを始める。頼むからガスらないでくれよ。


正念場は伊達ではなく、9号目から明らかに登りがキツくなったのを感じる。胸突き八丁よりキツいと思う。

荒島岳を経験しておいて良かったな。


それよりも問題はガスだ。

この辺で下山中の「うみねこゲストハウス」の客と再会したが、「さっきまではめちゃくちゃ景色良かった」そうだ。
うーん。


これはこれで「雲の中」にいる感覚を味わえるのだけど、やはり精神衛生的には良くないですなぁ


9号目から30分くらいで、恐らく利尻富士一のザレ場を通過。少し注意がいる場所だ。


涼しいのが幸いし依然、心肺は余裕だが、流石に足は疲れてくる頃だ。

今の私を動かしているのは、海抜0メートルからここまで歩いてきたという確かな自信と、ガスと海を交互に眺めることで得られる圧倒的な浮遊感である。


あと50メートルの文字に一瞬心が躍ったが、これは山頂までの距離ではなく、登山道保全のための土のうが積み上げられた区画までの距離である。


利尻富士の登山道は相当に疲弊している。特に昭和の登山ブームの際にボロボロになり、最近になって自治体やボランティアの努力で少しずつ回復してきたという。


ただ一度拗れたものはそう簡単には元通りとならず、山頂に近付くにつれて確実に道は悪くなってゆく。

現に鴛泊コースの他にもう1つある沓形コースは、崩落の影響で実質的に封鎖されている。(大昔は鬼脇コースもあったらしい)


もはや修復は困難とのことで、今後は鴛泊コース1本になるだろう、と「ばっかす」の宿主が言っていた。


「あと50メートル」だったここは最も道のコンディションが悪い区画。

チューブに土砂を詰めて足場としていて、登山のついでに土を運んでくれる超人ボランティアのお陰で、我々一般登山者がマヌケ面で登山できている訳だ。


そんな見知らぬ優しい人に感謝しつつ、ラストスパートをかける。

9合目の登り始めのような岩場ではないが、両脇は無論崖なので慎重に登って行く。


私は海外旅行が好きで好きで堪らなかった。

中学生の頃に椎名誠の旅行記にハマり、高校では深夜特急を読みふけった。

ブログのこの文体は椎名誠のエッセイの影響をモロに受けている。


大学も会社も海外との関わりを主軸に選んだ。社会人1年目にして4回も海外旅行に出かけた。そんな矢先のコロナだった。

海外に行けない苦痛は相当なもので、行ったことがないハバロフスクを散歩する夢を見るくらい追い込まれたものだ。


海外好きが海外に行けないとなると「国内のレアな場所に行こう」と考えるもので、離島に興味が向いてくる。

こうしてその年の夏休みの旅行先に選んだのが礼文と利尻だった。 


学生時代はとにかく海外だったので、北海道に行くのは14年ぶりである。

北海道のことを分からないなりに礼文ではトレッキング、利尻では登山をしようと楽しみにしていた訳だが、青函フェリーの上でふと、もし自分が無症状陽性者でコロナを持ち込んでしまったら島は大変なことになるぞ、という考えが頭をよぎった。


1度そう思ってしまうと悪い想像ばかり浮かんできてしまい、利尻と礼文の宿には詫びを入れ、予約はキャンセルさせてもらった。はた迷惑な客である。


一方で電話をかけてる最中も青函フェリーは函館に向かっているので、とりあえず北海道旅行はしようと思った。本土なら島よりは医療もしっかりしているだろう。


当時は夏の最繁忙期でも旅行者は少なかったので、稚内近辺でゲストハウスがありそうな町を急いで見繕い、豊富と層雲峡の宿を予約した。


このチョイスが実に良くなく、元から泊まる予定だった稚内では海、豊富では原野、層雲峡では山と、北海道のあらゆる自然を味わうこととなり、たった1回の旅行で完全に北海道にハマってしまったのである。

また、豊富で泊まった「あしたの城」が私にとって初めての「とほ宿」であり、その意味でもこの旅行の影響は大きい。


これを機に北海道は海外と同じくらい大切な存在となった。


それからは年に3回ほどのペースで北海道を旅行するようになり、行く先ざきでエゾジカの群れや旅人宿での語らいを堪能してきた。


そんなある日、そろそろ島に行かないとなぁと急に思い至ったのだ。島にはエゾジカはいないので、これまではなんとなく行く気にならなかったのである。

こうして2021年にドタキャンした宿への謝罪行脚として、2024年、ついに礼文と利尻を訪問するに至った。


礼文では民宿海憧に泊まり、8時間コースを歩いた。

利尻では「うみねこゲストハウス」に泊まり、夜な夜な愉快な仲間達との酒宴を楽しんだものだが、肝心の利尻富士となると足が伸びなかった。

8時間コースで疲れていたこともあるが、登山経験があまり無く、端的に言えばビビったのである。


それから1年、脳を破壊される日々の中で思い出すのは「うみねこゲストハウス」での楽しかった4日間。

またあの熱を味わいたい、その想いで2年連続、利尻で夏休みを過ごすことにした。

そしてせっかく利尻に行くのなら、今度こそ利尻富士に登ろう、と。


もう敵前逃亡はしたくないから、今回は相当計画的に登山の練習をしてきた。


高尾山から始め、荒島岳と丹沢山という2つの百名山はしっかり登頂。丹沢山はわざわざバカ尾根で登った。

天気に恵まれず登頂はできなかったが、仲間と乾徳山や大菩薩にも行った。


7月の頭に荒島岳を登った時、1500メートル級でひいひい言ってて果たして1700メートル級なんて登れるのか不安になったが、人間慣れればなんとかなるものである。


山頂まであと十数メートル、この数ヶ月の登山の記憶のみならず、これまで北海道で見た景色が走馬灯のように流れていた。そして・・・


10時ぴったり、登山口から約4時間半で遂に、4年越しの利尻富士登頂を果たした。

登りが苦手だった私がコースタイムの3/4で登頂。
上出来だろう!


自分語りで紙面が尽きたので後篇に続く。