はじめに
2016年、もうすぐ日本に帰るというタイミングだったと思うが、留学していた台北の映画館で「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」を観た時の感動が忘れられない。
私は小学生の時から熱狂的なハリー・ポッターファンだった。特に原作を愛読していて、本編だけでは満足できず、「クィディッチ今昔」と「幻の動物とその生息地」はもちろん、十数冊もの考察本をブックオフで収集した。
死の秘宝パート2の公開が高校生の時だったので、5年ぶりの続編となるファンタスティックビーストには大いに期待していたのである。
映像化されていなかった魔法生物達は実に魅力的で可愛く、ヒロインも当方の好みの気の強いタイプ、グリンデルバルドを絡めてくる意外性。
ハリー・ポッター本編とは違い、ファタスティックビーストの主要人物達は成熟した魔法使い。なので当たり前のように無言呪文を行使できるのだが、作品冒頭ではアロホモラやペトリフィカス・トタルスをわざわざ詠唱してくれ、ハリー・ポッターの世界に帰って来たことを実感できる嬉しいファンサービスであった。
当時ファンタスティックビーストは5部作を予定しており、あと4作も楽しめるのだと、私のみならず世界中のハリー・ポッターファンは歓喜したことだろう。
第2作「黒い魔法使いの誕生」は、よくハリー・ポッターファンの満漢全席のように言われるくらい詰め込み過ぎの内容であったが、ここまではまだ十分鑑賞に足るシナリオだった。
若い頃のダンブルドアにニコラス・フラメル、レストレンジ家。魔法生物の活躍となるとやや、というか微妙ではあったものの、エディ・レッドメインは好きな俳優の筆頭だし、ティナは相変わらず可愛いし、ハリー・ポッターファンとしては満足することができた。
それが第3作「ダンブルドアの秘密」になるとどうだろうか。
ストーリーは極めて雑、ジョニー・デップはプライベートでやらかしてグリンデルバルド役を降板、ティナ役のキャサリン・ウォーターストンは妊娠のためアクションシーンができずラスト一瞬のみの登場に。
ちなみにジョニデは冤罪だったので、1学年に1年かけると噂のリマスター版ハリー・ポッターでは是非ともシリウス役をやってもらおう。
あとマッツ・ミケルセン版のグリンデルバルドは優美な悪役という感じでとても良かった。シナリオが壊滅的だったので、グリンデルバルドの格が落ちるだけの映画になってしまったが・・・
何より、ファタスティックビーストの名を冠しながら魔法生物が活躍するシーンが極めて少ない。1作目からどんどん魔法生物の出番が減っている。
この調子だと5作目には「ファタスティックビーストとスティーブ・ジョブズの逆襲」くらいになっていたかもしれない。
まぁ、「ダンブルドアの秘密」の興行収入が振るわなかったためか、4作目以降の製作は未だ姿くらましをした状態なのだが・・・
私は古くからのハリー・ポッターファンとして、この有様を嘆いている。
ファンタスティックビーストという一大コンテンツを活かせなかった、制作陣への怒りに燃えている。
映画はビジネスだし、この状態で今さらファンタスティックビーストの続編が作られることはないだろう。
出演俳優はみんな超一流スターだし、他に出るべき作品はたくさんあるのだ。
ただ、ファンとしてはわずかな可能性に縋りたくなる。
一生涯遊んで暮らせるだけの金を稼いだであろう、ダニエル・ラドクリフがリマスター版を製作してくれるかもしれない。
そこで今回は、タイムターナーが開発された想定で、ファンタスティックビーストが大成しなかったポイント、そしてどうすれば良かったか?をただのハリー・ポッターガチ勢の目編で書いていきたいと思う。
筆者は毎日毎日、謎のプリンスにおける、クィディッチで優勝するまでのハリーと同じ苦しみを味わいながら、懸命に業務をこなしている。
いっときだけでもストレスをコンフリンゴするため、どうかお付き合いいただきたい。
反省点
①グリンデルバルドを物語の格にしたこと
個人的に感じる一番の問題点である。
そもそも、ダンブルドアがグリンデルバルドを倒した・・・というのがハリー・ポッター世界における史実である。賢者の石の冒頭、ハリーが初めてのカエルチョコでダンブルドアのカードを引き当てる訳だが、そこにグリンデルバルドを倒したことが書いてあるくらい、物語の初期から張られていた伏線だったのである。
つまりグリンデルバルドを物語の核とした時点で、必然的にダンブルドアを戦闘の主役として据えざるを得なくなり、「ファタスティックビースト」シリーズとしては物語を成立させることが難しくなる。
主人公のニュートは魔法生物学者でありながら一介の魔法使いなので、戦闘力も実戦経験も相応にある。
なので例えば、ニュートが魔法生物と協力してグリンデルバルドを追い詰めるも、貴重な魔法生物を世間の好奇心に晒さないため、ダンブルドアの活躍ということにしてもらった・・・このような展開にすればニュートも戦闘に参加させられたのかもしれない。
が、まがいなりにも史上ナンバー2の闇の魔法使いであるグリンデルバルドにニュートが敵う訳もないし、何よりダンブルドアの格を落とすような描写はできないだろう。
よってこのプランは没。
グリンデルバルドは、「魔法使いの旅」でサプライズ要員で出すだけで良かったのだ。
反省点②魔法生物とガチバトルの相性の悪さ
作品を全否定するコメントと思われてしまいそうだが、私が言っているのは戦闘の話だ。
ハリー・ポッター世界の魔法生物には、ニュートの著書としての「幻の動物とその生息地」にて5段階の危険度ランクを付与されている。
ハリー・ポッター本編に登場した中だとドラゴンやバジリスク、アラゴグことアクロマンチュラは危険度5。
ファタスティックビーストにもオカミーやエルンペント、ヌンドゥといった強力な魔法生物が登場するが、みんながみんな戦闘力のある動物ではない。
作品のアイコンであるニフラーやボウトラックルなど人畜無害な生物も多いのだ。
そもそも、ニュートは魔法生物学者であって、ポケモントレーナーではないのだから、オカミー達をグリンデルバルドと戦わせるようなスキルは無い。
仮にそういう能力があったとしても、彼にとって魔法生物は観察や保護の対象であり、何よりニュートの友だちなのだ。
よって、ここでもグリンデルバルドの話になるが、グリンデルバルドとの戦闘と魔法生物を1つのパッケージにまとめること自体が困難な試みなのである。
反省点③敵役に魅力が無い
ファタスティックビーストからハリー・ポッターを知ったファンも一定数はいるだろうが、やはりハリー・ポッターのファン達をターゲットにした作品である。
そしてハリー・ポッターのファンはヴォルデモートという最強最悪の活躍を目にしてきた訳で、単純な戦闘映えとなるとグリンデルバルドでは一歩劣るのは当然だ。
もちろん、グリンデルバルドも非常に強い魔法使いだし、何よりカリスマ性という意味ではヴォルデモートに勝るとも劣らない。「より大きな善のために」とスローガンを掲げ魔法使い第一の世界を作ろうとしたグリンデルバルドは、あのダンブルドアも魅了したのだ。
ファンタスティックビーストの作中でも、クリーデンスやクイニーの心の隙を突いて仲間に引き込む描写があり、単純な戦闘力ではなく、無数にシンパを増やし続け自分も殴ってくるタイプの敵、として見せていけばグリンデルバルドも魅力的なキャラになっていただろう。
ところが、グリンデルバルドは「ダンブルドアの秘密」になると裏工作や暴力に頼るような組織づくりを始め、クイニー達には離反される始末。
肝心のダンブルドアの秘密も大したことがなく、クリーデンスは死んでしまい、他のグリンデルバルド陣営も死喰い人に比べたら小悪党感が強い凡夫に過ぎない。
まぁ演者のエズラ・ミラーがプライベートでやらかしたので、仮にクリーデンスが魅力的なキャラになっても続投はできなかったのだが・・・
ハリー・ポッターの敵役を改めて思い返してみると、最強の闇の魔法使いであるヴォルデモート、エキセントリックサイコなベラトリックス、小物だが人間味のあるマルフォイ父などなど、戦闘力でもキャラの濃さでもグリンデルバルド陣営より数段格上で、物語を盛り上げた。
まぁ、最悪他のメンバーがイマイチでもグリンデルバルドが頑張れば良いのだが、先述の通りカリスマ性は3作目で急降下、ダンブルドアとの絡みも描写が少なく、お姉さん方の心を掴むこともできなかった。
そもそも、「ダンブルドアの秘密」ではロクな戦闘描写も無かったような・・・
ともかく、オークランド行きニュージーランド航空の中で「ダンブルドアの秘密」を鑑賞した私は、その出来栄えに大いに失望したのであった。
狼男と大いなる山歩き。
改善提案
以上の反省点を踏まえ、ここからは「こうすればファンタスティックビーストはもっと盛り上がったのでは?」というプロット上のアイデアを、繰り返しにはなるが1人のハリー・ポッターファンの目線で書いていきたい。
なお、私は「魔法使いの旅」について言えばファン垂涎の最強のお話だと思っているので、1作目は「魔法使いの旅」から変えず、2作目以降の構成について述べる。
ポイント①魔法生物の出番を増やす
まぁ「ファンタスティックビースト」なのだから当たり前の話ではあるが、魔法生物の出番を増やさないと始まらない。
「魔法使いの旅」ではニュートのトランクから魔法生物たちが逃げ出すことが物語の始まりとなったが、そこには魔法生物を登場させる必然性があった。
一方、2作目からはグリンデルバルドという1人の巨悪との戦いがメインのストーリーになってしまい、「黒い魔法使いの誕生」と「ダンブルドアの秘密」ではタイトル詐欺にならないよう無理やり魔法生物を登場させた感が強い。
では、どうすれば自然と魔法生物の活躍の場を増やせるのか。それはもう単純明快で、ニュートを魔法生物の生息地に行かせるストーリーにすれば良いのである。
アフリカやアジアなど、ニュートのフィールドワークをテーマとしたハリー・ポッター版アニマルプラネット。
あるいは、ニュートですら手に余るような危険生物の生息地でハリー・ポッター版ジュラシックパークをやるのだ。
時系列的に「魔法使いの旅」はニュートがあらかた世界を巡った後のお話なので、各地への訪問の動機づけに少々工夫は必要だが、ひとまず「ファンタスティックビースト」の名に恥じないストーリーになるだろう。
ポイント②ティナとの恋模様を描く
ただアニマルプラネットをやるのであれば極論Netflixでも良く、劇場でシリーズ物にするならはやり各話にまたがるストーリーが欲しいところ。
そこで鍵になるのが、ヒロインであるティナとの恋模様だ。
マグルの世界でも販売された「幻の動物とその生息地」の前書きでは、ニュートがポーペンティナ夫人、つまりティナと暮らしていると書かれている。
そう、そもそもハリー・ポッター世界の史実においてニュートとティナは結ばれることになっているのであり、ニュートの物語なのだから2人の関係が成熟する過程を描くのはもはや義務と言えるだろう。
人嫌いな魔法生物学者と、気が強いキャリアウーマンのラブストーリー。これで十分ではないか。
ポイント①のストーリーと合わせるのであれば、ある時はニュートがティナの調査に同行、ある時は希少な魔法生物の国際案件で鉢合わせるような形で、仲を深めて行く。
魔法生物学者の妻となる以上はティナにも魔法生物と接してもらう必要があり、その後ハリー・ポッターにまで続くストーリー展開の裏付けにもなるだろう。
ハリー・ポッターで恋愛物をやるのか?と思う人もいるかもしれないが、ハリー・ポッターは非常に裾野が広い作品群であり、多くのファンを抱えている。
冒頭で考察本と書いたが、私が中学や高校の時はとにかくそういった本が何冊も作られるくらいハリー・ポッターは人気があったし、まだスマホも一般的では時代ながら、ネットにはいわゆる二次創作が大量に転がっていた。
筆者自身は同人誌などの経験はないが、そういった二次創作はハリー・ポッターガチ勢が作っているだけあり、高校生の自分が読んでも結構面白かった記憶がある。
そしてそういう作品の多くが、例えばロンとハーマイオニーの恋愛物であった。
今この記事を書くために適当にネットで検索してみたが、令和の世でも多くの作品が投稿されていることに驚く。そしてやはり恋愛物が多い。
今はファンタスティックビーストがあるのでニュートとティナというカップリングが生まれたし、ハリーとマルフォイ、ハリーとスネイプといった腐向けカップリングは健在であった(筆者にそのような趣味は無い)
二次創作で恋愛物をやるのと、映画の主軸としてラブストーリーをやるのはまた勝手が違うが、そこに魅力的な魔法生物がいれば十分に作品として成立すると思うのである。
ポイント③魔法生物との共闘
魔法生物たちとの出会いを織り交ぜた、ティナと結ばれるまでの物語。個人的にこれで大満足だが、やはりハリー・ポッターシリーズなのだから戦闘描写は欲しいところ。
例えばバジリスク級の危険生物と戦うのであれば、ニュートとて容赦なく攻撃系の呪文は使うだろうし、非常に映える戦闘シーンになると思う。
また国際的な密猟組織にニュートとティナたち闇祓いが挑む、というストーリーならば、呪文と呪文による戦闘が当然発生する。
こうして魔法生物+ラブストーリー+戦闘が揃った訳だが、せっかくの「ファタスティックビースト」なのだから、どこかで魔法生物との共闘シーンも描いて欲しいと思う。
特に「魔法使いの旅」ではスウーピング・イーヴルを使ってアメリカ魔法職職員やグリンデルバルドと戦うシーンがあったが、そういった戦闘描写をもっと増やすのだ。
ただそうなると、ヌンドゥのような危険生物ではニュートの手に余るし、単純に強力な魔法生物を戦わせれば良いという訳でもないのが悩みどころ。
そこで個人的には、魔法生物の生態を十全に活かしたハリー・ポッター版ホームアローンをやることを提案する。
さすがにグリンデルバルド級の魔法使い相手にこれをやると白けるので、ターゲットは密猟者程度の小悪党。
直接的な戦闘力は無くとも魔法生物は何らかの特殊能力を有していることがほとんであり、それぞれのギミックを活かして追い込んでいくのである。
まとめ
もはや自分で二次創作とやらを書いた方が早いのではと思えてきたが、以上が「ぼくのかんがえる最強のファタスティックビースト」である。
私にはストーリーを作る創造性も、映画を撮る技量も無いが、ハリー・ポッターシリーズへの愛は本物だし、ファタスティックビーストの物語が途中で終わってしまったことは無念極まりない。
ここに書いたアイデアは勝手に使っていただいて構わないので、今後、映像でも文章でも良いので作品化してくれる共感者が現れることを願ってやまない。