道の駅まで送って行くよ。
中札内の旅人宿・カンタベリーの宿主の有難い誘いを断って、僕はフェーリエンドルフを後にする。
社会人生活5年目になっても相変わらずガキっぽい愚痴を零すが、配属ガチャに対するどうしようもない怒りは収まらず、一方で生来の生真面目さが災いして品証の仕事を投げ出すこともできず、何とか午後休を取って息抜きの旅行に出た。
金曜日の18時半に帯広に着き、土日と十勝を遊び、早くもこの日が連休の最終日である。
明日から不本意な仕事がまた始まることへのささやかな抵抗として、僕はカンタベリーから道の駅なかさつないまで約6kmを歩くことにしたのだ。
幸か不幸か、たった3泊4日の旅行ではバックパックもそう重くはなく、歩くのに支障はない。
余計なことは考えず、果てしなく続く一本道を往く。
広大な北海道だと、何と言っても道東が好きだ。
犬も歩けば動物に遭遇する。
無数のエゾジカを拝める稚内も良い。
それに比べて十勝は動物との遭遇率が低く、少し地味な印象を持っていたが、今回の旅行で認識を改めた。
一面に広がる畑。
遠くに見える雄大な日高山脈。
イメージ通りの北海道そのものである。
カンタベリーの女将が言うには、こういった高架下にたむろするキタキツネがいるらしい。
冬場、撒かれる融雪剤の塩分がお目当てとのこと。
野生の知恵とはすごいものだ。
このまま国道236号にぶつかるまで直進を続けてもいいが、高架沿いの細道を歩くことにした。
畑をより間近に感じたかったからである。
知らぬ間に私有の農道に迷い込んだらと思うと少し怖いが、グーグルマップで出てくる道なのでまぁ大丈夫だろう。
焦げ茶と深い緑のコントラストが良き。
時おり小さな森のようになっている場所があるが、山からは遠く離れているし、ヒグマの心配はない。多分。
10月の十勝の気候は実に塩梅がいい。
つい2週間前まで朝っぱらから汗をたらたら流して通勤していたかと思うと、爽やかな風を浴びながら農村地帯を歩くこの時間がより一層愛おしい。
宿を出た頃は肌寒いくらいだったが、ここら辺でノースフェイスをバックパックにしまった。
僕は植物にあまり詳しくないが、根本を見るにこれは大根だろうか。それにしても大した規模である。
普段はあまり野菜を食べないけど、北海道に来る度に大量の野菜を摂取し、少しだけ健康になって神奈川に帰る。
基本的に目に映るのは畑と土、それから青空だけなので、たまに人工物を見ると新鮮な気持ちになる。
僕は何も考えず景色を堪能するということが苦手だ。
一面に広がる畑、定規で描いたような一本道に心奪われ、眼の前の景色に没入する一方、そんな時間に水を注すように明日の仕事のことが頭をよぎる。
僕は嫉妬深い人間である。
花形の営業への嫉妬に燃えながらPCを叩き、インスタグラムで繰り広げられる海外出張のポジショントークを見る度にオッエーとする毎日である。
希望の部署に配属されていれば、僕もきっと、辣腕を振るっていたかもしれないのだ。
遥か遠くに臨む日高山脈に比べたら、僕の陰鬱とした悩みなどちっぽけなものだろう。
神の山々の前では多分、営業も品証も大差ない。
そう考えようじゃないか・・・
グーグルマップに表示される最短ルートを歩くと、カンタベリーから道の駅まで70分ほどみたい。
僕は気ままに写真を撮ったり、物思いに耽ったりでかなり時間をロスしている。
まぁ、これも旅のかけがえのない時間である。
1年後、2年後にこの道を歩く時、僕は自分の中の嫉妬心に決着をつけられているのだろうか。
それとも相変わらず、ドロドロとして気持ちを胸に抱いているんだろうか。
ここから道の様子が変わりやや焦るが、グーグルマップでも経路として表示されているのを信じて先に進む。
実際にこういった道を延々と歩く酔狂な者がいるかは別として、きっと村道として通行可能なのだろう。
道の左に見える、無数の石ころのような物体。
これはもしや・・・
ジャガイモだ!!
フライドポテトを何より愛する僕にとって、ジャガイモの山はまさに宝の塔である。
ジャガイモの山と日高山脈。
前方に鳥居が見えてきた。
栄神社、と言うらしい。
近付いてみた。
どこかミッドサマーのような原始的な恐怖心が身体を貫く一方、見渡す限りの畑の中に鳥居が佇む様は牧歌的でもある。
いつか、何週間もかけてヨーロッパの農村地帯を巡ってみたい。いつかとはつまり、今の会社を去る時になるが。
ここにもジャガイモの山が。
手持ちの水が減ってきたので、少し焦って歩みを進める。
こんな場所に自動販売機やコンビニなんてある訳ないので、水や食料は十分に持って歩いて欲しい。
ジャガイモ、再び。
農機があるが、乗り手はいない。
昼休憩中なのだろうか。
こうやって歩いたところで悩みが消える訳ではないけれど、清々しい景色を見れば30分は気持ち良く過ごせる。
結局のところ、こんな風にだましだまし生きていくしかないんだろう。
この辺は民家が少しだけ並んでいて、まさに農村といった趣きであった。
これまで歩いて来た道がれっきとした村道であることに安心した瞬間である。
なお、標識に描かれているのは中札内のマスコットキャラクター、ピータン。
もちろん、中華料理のあれではない。
名前の由来は各自で調べてくれ。
農機やトラックの車庫や倉庫が並んでいる。
全く人気がなく、そら寒さを覚えた。
風の音と自分の息遣い以外、一切の音がしない。
マップによると、道の駅まではあと15分ほど。
旅の終わりもすぐそこだ。
右手に見えるのは恐らく養鶏場だろう。
中札内の卵は有名だ。
宿の朝メシのたまごペーストも滑らかで美味かった。
なんてことのない小川だが、水は透き通るように美しい。
中札内の市街地方面に近付いたからか、山がより大きく見えるようになった気がする。
こうして農村地帯を抜け、いつの間にか中札内の住宅地に入っていた。
普通の住宅地なので個々の家を接写はできないが、お母さんが横を流れる川で作業していたりと、どこかおとぎの国のような、そんな村の生活を垣間見れて大満足である。
カラフルで可愛らしい家も多い。
電車の中から眺めただけで散策はしてないが、同じ村と言っても音威子府と中札内ではだいぶ趣きが異なる。
音威子府は山村の風情だが、少なくとも道の駅に周辺については、中札内の方が「町」という感じが強い。
どっちか良い悪いではないが。
6kmを歩いたところで、明日からの僕の仕事が変わる訳ではない。ここで見たものだって、3日もすれば忘れてしまうかもしれない。悩みは消えずに人生は続く。
だが、ふとした瞬間に日高の山の神々しさを、牧歌的な農村の景色を思い出し、それらが僕に力を与えるに違いない。
だから僕は旅を続けるし、また北海道に行く。