【旅行記】2022GW北海道2-2 天は我に味方せり!北方領土を拝む

リアルタイムでは昨日の夕方に羽田着、今日は大学の友人の結婚式でした。

この旅行で旅行記と情報系記事合わせて30くらいはストックができたので、卒業旅行編を完結させつつゴシゴシ書いていきます。


[Day2]

バスターミナル↔納沙布岬のバスは比較的多い。
日帰りだと選択肢が2つしかない宗谷岬行きのバスとはえらい違いで、旅行者的にはありがたいです。


なお今回は根室に2泊3日ということで、フリー乗車券の2日券を購入しました。
2980円で市内5路線が乗り放題です。


時間になったので出発。
向こう2日間が雨&曇りの予報なので、見れるうちに!ということか乗車率はなかなかでした。


僕にとってもそう。
一年前、宗谷岬に行った時は絶賛悪天候で、1ミリたりともサハリンは見えませんでした。

今回こそは北方領土を拝みたい。


岬に近づくにつれ、北方領土に関するスローガンが書かれた看板も増えてきます。
宗谷岬とは全く違うピリついた雰囲気です。


だいたい14時半前に納沙布岬のバス停に到着。
天気はすこぶる良好です。


さぁて、いよいよ・・・
場所が場所なだけに「期待に胸を膨らませる」という表現は適当じゃないけど、ここまで来たら全力で見学し、少しでも多くを学び感じるのみ。








おおおおおおおおお!
遠くにかすかですが歯舞諸島が見えます!!

見辛かったら拡大してみてくださいね。
水平線と平行な白いのが歯舞諸島の貝殻島です。


納沙布岬は日本本土の最東端です。
※一般人でも訪問可能、離島を除く、日本の実効支配下において、など様々枕詞がつきます。

本当の意味での最東端は南鳥島ですかね?


読みは「ノサップ」です。

似た名前に稚内の野寒布岬がありますが、あちらの読みは「ノシャップ」。ノシャップに関しては漢字で表記されることはあまりないかもしれません。


なお、納沙布岬=北方領土が見える場所のイメージが強いものの、実際にここから見えるのは歯舞諸島と国後島のみ。択捉島と色丹島は見せません。

写真は国後の羅臼岳です。


貝殻島までの距離はたったの3.7km。
寮から最寄り駅までと変わらんやんけ・・・


北方領土を身近に関する取り組みとして、島までの距離と同じだけの距離をウォーキングしてみようぜ!というものがあるみたいですね。


他のところも見てみましょう。

宗谷岬は最果ての地とはいえ集落や民宿があるのに対し、納沙布岬にそういう生活感はほぼありません。道中には普通に集落もありましたが。


こちらが日本土最東端の灯台。

日本本土で最初に日が昇るのはここ納沙布岬です。
日出る国で一番最初に朝日を拝める土地、なんだかそれだけでワクワクしてきますね。


灯台の裏には鳥観察小屋があり、安全な環境でじっくりと海鳥を観察できます。


ちょっとは納沙布岬らしいものを食べたいと思い、エスカロップを食べたばかりではありますが名物・花咲ガニを使ったカレーを注文してしまいました。


ここからは少し真面目に資料館を見学します。

まず見るのは北方の家
北方領土の所有権を巡るいざこざや北方領土問題の歴史について学ぶことができます。


北方領土のイメージキャラクター、エリカちゃん
モデルは海鳥のエトピリカです。


このキャラクター、何か見覚えがあると思ったら、元カノと一緒に虎ノ門の領土・主権展示館に行ったことがあったのでした。

デートで行く場所じゃねぇぞ!


蝦夷志の写本や樺太千島交換条約など、歴史の授業で学んだものが展示されています。


1855年の日露通好条約にて、日露国境を択捉島と得撫島の間に設定する=北方四島は日本の領土、というのが日本の主張。第二次大戦で日本に勝った成果としてロシアが支配した、というのがロシア側の主張です。


北方の家には望遠鏡がいくつか備え付けられており、歯舞を間近に観察することができます。

さすがにロシア兵が歩いている・・・なんてのは見えませんでしたが、それでも北方領土の岩肌やらがはっきりと見えるのはなかなか感慨深い。


お次は国道沿いにある根室市北方領土資料館
北方領土に生息している動物や、日本人が居住していた頃の文化の様子などを展示しています。


でっかいトド。

去年かな?国後から標津町まで泳いで亡命した男性がいましたが、こんなんやシャチ、サメが生息している極寒の海を泳ぎきるなんて化け物かよ・・・

※国後=日本だと亡命という表現は適当ではないですが、それ以外の表現が思い付かないのでお許しください。


※写真撮影とブログへの掲載許可を頂いていますが、より念入りな著作権対策のため解説パネルは黒塗りにしております。


日本である以上は神社がある訳で、写真のこれはクジラの骨を用いて造った神社の再現です。


択捉には神職がいないため島の校長などが神事を代行していた一方、歯舞は根室から近いので神職が出張していたという解説が興味深かったです。

台湾の金瓜石で見た日本統治時代の神社は未だきれいに整備されていましたが、北方領土の神社は今どうなってるんでしょうね?


ロシアによる北方領土のガイドブックのコピー。

ビザ取ってサハリンからツアーに参加すれば、日本人も北方領土を旅行することは可能です。

もっとも、このような行為は北方領土をロシア領と言っているのと同義なので渡航の自粛要請は出ています。扱いとしては北朝鮮旅行と同じかな?


ロシアとの関係悪化に伴い切り落とされた海底通信ケーブルの残骸。

ロシア人と日本人が北方領土で共存していた時代もあり、まずは子ども同士が仲良くなって〜みたいな話を聞くと切なくなりますね。


あくまで個人の興味としては北方領土の景色も見てみたいし、普通のロシア人とは仲良くしたい。
ウラジオストクを旅行した時も色々お世話になりましたし、早う平和になることを祈るばかりです。


帰りのバスまでまだ一時間くらいあるので少しお散歩。写真の展望施設は休業していました。


最東端の地ではありますが、北からも南からもアクセスできるのでどん詰まりの道ではありません。


昨年夏の旅行では、サハリン(樺太)関係のあれこれを資料館で見学してきました。

北方領土と同じく多くの日本人が暮らしていたサハリンですが、こちらは正式にロシアの領土として認められているため、逆に普通の海外旅行として訪問できます。地球の歩き方にも載っています。


最後に納沙布岬を眺めて観光終了。

ロシア本土からこんなに離れていて、そもそも過酷な自然環境なので、ロシアが頑なに北方領土の支配を続けるのも経済水域の確保という意味合いが強いのでしょう。
インフラも貧弱と聞きますし、北方領土での生活が不便であることは想像に難くありません。


それでも、どれだけ不便でも過酷でも、北方領土で生まれ育った人にとってそれはどこにも代えられない自分の故郷な訳です。

北方領土問題が今後どのように転ぼうと、その思いを踏みいじってはいけないと思います。


最終便で根室の市街地に帰ります。
乗客は行きより少なめです。


根室の夕焼けはなかなかにエモいです。
港町っていいですよね。ロマンがあって。


さて、この日は外食する気力がなかったので、ローカルコンビニで買った弁当を宿で食べ


近所の銭湯に行ってから宿のリビングでブログを書いて寝ました。交流などは明日に期待です。


つづく