
私は大学2年次より、バックパックを背負った貧乏旅行に勤しんできた。
1人旅は2014年3月、香港で経験していたが、いわゆるバックパッカー的な旅行は夏休み、ネパールがデビュー戦となった。
以来、部活のオフの度に中国をメインにバックパック旅行に出かけ、卒業旅行では2ヶ月半かけてイランからギリシャまで陸路で抜ける旅をした。
社会人になってからも、途中でコロナを挟んだものの、ハンガリーやニュージーランドなどを旅した。
大学や会社の仲間内で私ほどバックパック旅行に精通した者はいないと断言できるが、一方で本当の意味でのバックパッカーであったかには疑問符が付く。
私はバックパッカーの聖地たるタイ・インドに足を踏み入れたことがなかったのである。
振り返るとそれは逆張りに他ならず、俺は他のバックパッカーとは違うんだかんな、中国・旧ソ連こそ至高だかんな、と息巻いていたように思う。
特にタイはライトな旅行者にも人気な国であり、私がタイに行ったことがあるのは当然のものとして、会社の同期におすすめの観光地を聞かれたこともあった。

このように些か(いささか)画竜点睛を欠く我がバックパッカーライフだった訳だが、2023年のGW、会社同期のTKT、それからOとウズベキスタンに行ったのが1つの転換点となった。彼らは元から仲の良い同期ではあったが、この旅行を機にさらに親睦を深めてきた。
そしてウズベキスタン旅行の10ヶ月後、Oのインド赴任が決まったのである。
こうなると話は早く、Oが赴任して3ヶ月後にはTKTとチェンナイ行きの航空券を予約していた。
エアはタイ航空で、経由地はバンコク。おお、一気にタイ童貞とインド童貞を捨てられるではないか。
Oが働く拠点は大晦日も仕事があるので、Oと遊べるのは2日間だけ。
タージマハルやバラナシといった定番スポットも魅力ではあるが、せっかく南インドに行ったのにチェンナイからすぐ北に飛びたくはない。
TKTと念入りな打ち合わせの末、Oと解散した後は西へ西へ、駆け足ではあるがマイソール、バンガロール、ハンピと移動し、最後はムンバイから帰るルートを構築。
かくして、2024年度の冬休み男珍道中が幕を開けたのであった・・・

年内最後の仕事を終え、羽田空港に降り立った私は言いようのない幸福感に包まれていた。向こう10日間は脳を破壊されずに済む。
おや、夏休み道北旅行の書き出しと同じでは?と判ったなら話は早く、脳破壊の日々はこの頃より始まったのである。本当にしんどいのはむしろ年が明けてからだったが・・・
もうじき、また年が変わる。
新たな生きる意味を見出すのか、仏教用語で言うところの破壊殺的な再スタートを切るのかは未だ答えが出ないが、2025年の大晦日は笑って終わりたいと思う。

前述の通り、今回は羽田→チェンナイ、ムンバイ→羽田のオープンジョーで、タイ航空を利用。
トランスファーは往復ともにタイのスワンナプーム。
チケットは6月にサプライスで購入し、約16万円だった。
円安が進行したこともあるのだろうが、2023-2024の冬休みはプラハin、ウィーンoutの大韓航空でほぼ同じ運賃だったので、少し割高感はある。

私がチェックインを終えた直後、TKTも現着した。
彼は筆者とは違って海外出張に行ける機会が多いにも関わらず、ビザをスーツケースに入れて預けそうになるという失態をかまし、序盤から爆笑を提供してくれた。
※E-ビザ取得後、印刷して空港のカウンターやイミグレ、宿で見せる必要があります。

チェックインを済ませ、日本食の食べ納めをする。インドでは基本的に豚肉が食べられないので、トンカツにした。

出国後、出張の恩恵を受けスタアラ上級会員に成ったTKTの慈悲でラウンジに入れていただいた。
ANAラウンジの咖哩を喰らってみれば、配属ガチャの音がする。

今回も、私をセンチメンタルな気持ちにさせるどん詰まりゲートからの搭乗であった。
2023年6月に香港へ行った時以来、異常な確率でこのゲートからフライ・アウェイしている。
この後起きることを全て知った状態で、仕事の能力は今の状態で、あの6月に戻りたい。

カレンダー的には出国ラッシュには少し早いが、タイ航空TG661便はほぼ満席だった。
タイ航空に乗るのは10年ぶり。
奇しくも、バックパッカーデビューとなったネパール旅行以来である。

機内エンタメは充実していた。

深夜便につき、最初の機内食は軽食(サンドイッチ)だった。これと10年前と同じ。
実はバンコクでの乗り継ぎが12時間以上あり、ガッツリ観光する予定なので食べたら素早く寝た。
まだ先は長い、長いのだ・・・