さて、空はもう闇夜に包まれているが、時刻は17時前。
冬のヨーロッパはとにかく日の入りが早く、筆者のようなスロースターター型の旅行者では観光時間が目減りしてしまうのである。
反対に、春ともなると21時くらいでもまだほんのり明るいほど日照時間が長い。
この数ヶ月後、ヨーロッパ出張に行った時は仕事後に街を散策できた。この出張の思い出を胸に、残りの人生を消化していきたい。
トラムのアナウンスは停留所Aに着いた時に流れるのか、次の停留所Bを知らせるために流れるのか、まだチェコの地名に耳が馴染んでいないこともあり少し手こずったけど、それでも車内は清潔そのもので快適、ディスプレイで停留所も把握できて実にストレスフリーだった。
移民系のフードスタンド萌え
地下鉄に乗り換え。
こちらの駅では旧共産ならではの重厚な趣きは感じられず、黄色を基調とした爽やかなプラットフォームだった。
観光向けのエリアでないところから乗り込む公共交通ほど、旅情を感じられるものはない。
フロレンツのホステルで少し休憩した後、夕飯のために外出する。
何だかんだで2023年の後半は仕事も忙しくて疲れても溜まっているし、そもそも時差ボケが結構しんどいので、焦らずまったり過ごすのだ。
そう、疲れている日本人には米が必要なのである。
私は好き嫌いこそ多いものの、基本的に旅行中は現地の物を中心に食べ、気分転換にファストフードを食べに行く程度。
そもそも移民が多く明確な郷土料理に乏しいニュージーランドを除き、中華になど手を染めない。
和食は言わずがもがなだ。
だがこの時は疲労もピークだったし、チェコ入国24時間にして小麦と芋が主体の食事に飽きてしまったのである。
そんな訳でチャーハンを注文。
本当はムーシーローでライスをしばきたかったが、予算の関係で諦めた。
油を纏いし米は格別の美味しさ。
これぞ東アジア。東アジアの民には米が必要なんだ。
東京外国語大学中国語専攻の実力を活かし、野菜多めと無茶な注文したので栄養もバッチリである。
このまま宿に戻るつもりだったが、チャーハンでHPが回復したのでこのまま夜の散歩に出かけることに。
お馴染み地下鉄フロレンツ駅のエスカレーターは果てしなく長い。
マラー・ストラナやフラッチャニに戻る気力は無かったので、とりあえず安定の旧市街広場ら辺に来た。
相変わらず人通りは多いが、夜はこれくらいの方が安心して出歩けるものだ。
まだまだクリスマスのかほりが残るプラハの街。
それだけ欧米人にとってクリスマスはビッグイベントなのだ。今年の話だが、USやドイツの現地スタッフもぼちぼちバケーションに入り始めた。
クリスマスに予定が無いことはさておき、意中の女性が彼氏とクリスマスを過ごすことを想像するのがキツイのである。
↑マダム・タッソー
ライトアップされたクリスマスツリーが映える旧市街広場。ぶっといソーセージやホットワインの屋台も並び、昼間に負け劣らず大勢の観光客で賑わっていた。
ホグワーツ城の趣きがある。
↑街並み
中世にタイムスリップしてしまった感がある一枚。
↑街並み
↑街並み
プラハに来て驚いたのは、こういういかにも歴史のありそうな、日本人にとっては映画のセットにも見えるほど重厚な建物が普通にアパートとして使われていることである。
1階は商店、2階以降が住居という造りの建物も多かった。
実際に住むとなれば、ゴシックホラー感があり少々怖そうだが・・・
アテもなくヨーロッパの旧市街を彷徨い歩くのは、実に良い。品質保証業務の100倍、良い。
あんまりノープランで歩くのもな・・・ということで、最後にブルタバ川からプラハ城を眺めることにした。
↑街並み
↑街並み
ところで、「深夜特急」の第五便で語られていたと思うのだが、ヨーロッパの冬は「寒い」。
沢木耕太郎はどちらかといえばメンタル的な意味合いでそう語っていた印象だが、気温的にも夜のプラハはきっぱりと寒かった。
ノースフェイスでも防寒しきれないくらい。
ちなみに小生は、ノースフェイスに黒スキニーみたいな服装の女性が好みである。
ブルタバ川に辿り着いたものの、寒さと時差ボケでHPは減る一方で、結局5分ほど夜景を堪能してから旧市街広場に戻ることになった。
写真映えする旧市街も好きだが、こういう静かな感じも私の心を鷲掴みにする。
↑街並み
↑街並み
90分ほどの散策を終えて宿に戻る。
今回も充実した街歩きだったな。
↑地下鉄駅の広告
地下鉄フロレンツ駅を出てすぐの所にあるスーパーで水を買ってから宿に帰宅。
観光地や市街地にな移民が経営しているコンビニ的なミニマートもたくさんあるけど、そこでは水は数百円。スーパーだと100円もしない。
スーパーとコンビニの価格差は日本以上かもしれない。
ドミの二段ベッドの上段にはコンセントが無いので、スマホの充電を兼ねてコモンスペースで過ごすことにした。
続く