[Dayd37]
一旦スルタンアフメット地区を離れ、ガラタ橋の近くまでやって来ました。
ブログを書いてて思いましたが、一ヶ月くらい滞在しないとイスタンブールという街のことは何にも分からないと思いますね。宿代が高いのは難点だけど。
バザールを見学します。
立地的に恐らくエジプシャンバザールでしょう。
スパイスが有名みたいです。
スパイスの他にお菓子などもあるのでお土産の調達をするのもいいと思います。
個人的な感覚としては、グランドバザールに比べてやや地元と寄りといったところ。
微妙に食べたりなかったので、マックに入ってライスメニューを注文してみました。
日本にはないメニューがある、地元の学生や家族連れを観察するのが楽しい、などの理由で海外旅行に行くと一回はマックやケンタに行くようにしています。
こんな凄まじい街に住んでいる人の情緒がどう形成されていくのか真面目に気になりますね。
芸術センスとか色々研ぎ澄まされそうです。
スルタンアフメット地区に戻りまして、アヤソフィア博物館を見学します。
4世紀に教会として造られ、ビザンツ帝国の終焉までギリシャ正教の大本山として名を轟かせました。
ビザンツ建築の最高傑作と言われています。
教会なので、もちろんフレスコ画を見ることができます。年季の入り方が半端ないです。
しかし、アヤソフィアはただの教会にあらず。
15世紀、イスタンブールの前身であるコンスタンティノープルが陥落したことで、勢力図は一転。
ムスリムがこの地を治めることとなります。
その結果、アヤソフィアはスルタンのメフメット二世によって教会からジャーミィとして改造されることに。
激動の時代を乗り越えた今では、残されたフレスコ画とともに教会とジャーミィが共存する世にも奇妙な、まさにオンリーワンの宗教建築となったのです。
もちろん、宗教に関係ない豪華絢爛なシャンデリアなど見て楽しむのも大いに結構。
考古博物館の満足度を4だとしたら、そうですね。
アヤソフィアの満足度は350くらいでしょう。
年季の入った階段を昇って二階に行くこともできます。
現在はこうして博物館とて開放されていますが、どうやらエルドアン大統領が再びモスクとして使っていくことを宣言したようで。
旅行者としては世界遺産ではなくなるのは構わないとして、以前のように気軽に見学できなくなるんじゃないか心配なところです。
円盤には歴代のカリフやイマームの名前が刻まれています。
こういう文字を見ると、中国語で良かったと心から思います。発音はめちゃくちゃ難しいけど、表意文字ってのはホント偉大ですよ・・・
メッカの方角を示す?という窪みです。
こちらは聖母マリアの手形。
親指を突っ込み、他の指を壁から離すことなく親指を一周できたら願いが叶うとのこと。
二ヶ月後、会社に入って同期の女の子と仲良くなれるようにとお願いしました。
まぁ指が太くお察しの結果になりましたが
そして最後は照明で暖を取る猫を文字通り猫可愛がりして大満足の見学終了。
反則級の可愛さでしょこれは!!!
世界遺産のモスクにも猫の入場を許可するトルコ政府の寛大さは好きですww
真面目に見学したら腹が減ったので、適当な屋台でおやつ(ブラウニー)を買いました。
いやー、イスタンブールにはもっともっと長いすべきでした。今の自分ならもっとリラックスして散歩を楽しめると思うので。
旧市街も全然歩き足りませんし、新市街もサーリッヒと飯を食べた以外は散策してません。
さらにこの旅ではグランドバザール以外のベヤズット地区や金角湾周辺を全スルーしているので、この悔しさを忘れず次はより緻密に観光したいですね。
エジプシャンバザールに舞い戻りました。
天井が特徴的です。
今となってはエジプシャン要素はないけど、エキゾチックで歩いていてとても楽しい。
イランとトルコを旅して思いましたが、バザールって観光客向け・地元民向け関係なく清潔なんですよね。
気温や気候も関係しているのでしょうが、台湾や東南アジアの市場はときおり食欲が消滅するような衛生状態のこともあるので・・・
日本人観光客が多いので日本語にも遭遇します。
特に店員さん達は「ヤスイヨー」など定番のセールス文句だけでなく、「じぇじぇじぇ」等の流行語を巧みに操って客引きしてきます。
じぇじぇじぇは少し古いですがw
客引き言っても強引な人は少なくむしろフレンドリー、僕もナッツなど試食させてもらいました。
一ヶ月くらい滞在するなら、おやつをここで調達していたと思います。
午前中の惨劇からよく立て直したと思います。いい観光ができました。
ドミトリーに戻ると同じく卒業旅行中の日本人がいたので、一緒に食事に行くことに。
歩き方に「激安煮込み店」と紹介されていたバルカンロカンタで食べましたが、バルカンロカンタへの愛を語ると普通に1000文字くらい使ってしまいそうなので詳細は省略します。
食後はスルタンアフメット地区を少し散歩。
これはオベリスクですね。
同行の彼もなかなかの旅好きらしく、あれこれ旅話ができるのは楽しいです。
と、ここで明らかに怪しげな輩に新市街までの道を聞かれまして。地元民に聞けと追っ払ったのですが、宿へ帰る途中に何となく振り向くと、50メートルくらい手前からストーキングしてきてるじゃないですか!
・・・僕は自分で言うのも何だが旅スキルが高い。そして剣道で鍛えた屈強な身体もある。
ここは何としても同行の彼を守らないと。
頭を回転させ、宿の近くの雑貨屋に飛び込んでタイミングをずらすことで追撃を阻止できました。
めでたしめでたし。
〜後日譚〜
後日、同行の彼が推しブロガーの転がる五円玉さんだったことが判明しました。
ブログを読んでいたら珍しく顔出しされていて、強烈な既視感を覚えつつトルコ編の記事を見てみたら滞在期間が見事一致、しかもバルタンロカンタの写真に僕のニット帽が写っていて御本人と確定しました。
転がる五円玉さんは北朝鮮に行ったりガーナでチョコを作ったりと行動力が凄まじく、そのシニカルな語り口も相まって大学3年くらいからずっとファンだったのですが、まさか同じ宿に泊まっていたとは。
・・・・そんなプロ旅人に対して僕は愚かにも旅の先輩ぶって輩から守ろうと勝手にジタバタしてたのか!?