N先輩と立川で飲んできた。
先輩と言っても部活の先輩ではなく、台湾のゲストハウスで知り合った旅人である。
コロナが流行する前に会って以来、二年ぶり三回目の飲みだった訳だが、こうして5年経っても仲良くしてくださるというのは非常に嬉しい。
脈絡ないが、二軒目はCona 立川店で飲んだ。
バカ旨いピザを始めほとんどのメニューを550円で楽しめる神のようなお店である。
さてさて前置きが長くなったが、今日は久しぶりの雑談回ということで、僕とゲストハウスの馴れ初めについて語っていきたい。
僕の初めての一人旅は2014年の3月、大学一年生の春休みのことで、行き先は香港だった。
この時はゲストハウスやドミトリーという概念すら知らなかったので、(母が日本から予約してくれた!)小洒落た中級ホテルのシングルに泊まった。
確か8000円くらいの部屋でした。
次の一人旅は大学ニ年の夏のネパール。
この時は無職旅を履修し始めゲストハウスのことも知っていたので、地球の歩き方に載っていた面白そうなゲストハウスに泊まることにしました。
コモンスペースで他の旅人やスタッフと雑談する楽しさを知り、まさにゲストハウスマイスターになるきっかけとなった滞在でしたが、今では信じられないことに当時の僕はドミトリーに泊まる勇気がなかった。
ドミトリーデビューは大学二年の春休み。
中国広東省の広州で、高層アパートの一室を利用したゲストハウスだった。
アパートまでの行き方が分からず、そこら辺にいた親父さんに道を尋ねると、タクシーを拾ってくれたばかりかタクシー代まで出してくれたのは素敵な思い出。
初めてのドミトリーにしては・・・今思うとなかなか強烈な感じでしたね・・・
三年の夏休みになると完璧にドミトリーをモノにしていて、北京で泊まったゲストハウスでは中国人のパワーに圧倒されたのも楽しかった。
中国のゲストハウスだと、例えば瀋陽では現地の大学生の人狼ゲームに巻き込まれて一緒に火鍋を喰いに行ったり、ハルビンではスタッフの飼いトイプードルを愛でたりと各地で素晴らしい経験をしましたね〜
そしてN先輩と知り合ったバナナホステルだ。
バナナは台北の東門駅の近くにあって、通っていた師範大学まで徒歩圏内。
鼎泰豐の本店やマンゴーかき氷で有名な永康街の最寄りなので観光客にも馴染み深いかもしれない。
とにかく、部屋を見つけるまでの一ヶ月間半と、授業が終わり帰国する前の最後の一週間、足掛け一ヶ月間もバナナに住んでいた。
寝室の床はコンクリ、無骨な二段ベッドがぎゅうぎゅう詰めでたまに蟻が発生してキッチンからは変な臭いがしたが、アットホーム感抜群のコモンスペースとフレンドリーなオーナー夫妻、土日だけ朝メシに登場するバナナケーキの虜になってしまったのだ。
安さに目が眩み日本人宿に浮気したこともあったけど、そこが控えめに言ってゴミカスだったので一週間保たずにバナナに逃げ帰ったくらいである。
N先輩とは元々の知り合いなどではなく、寝室で目が合ったのでなし崩し的に一緒に食事に行くことに。
バナナのヘルパーをしていたヘウォン姉さんと一緒に師大夜市で楽しい宴。
また当時は身の回りに旅好きが少なかったので、初めて同じくらいのレベル・嗜好で旅の話ができた先輩とは馬が合い夜中の2時までキッチンで語り明かしたのだった。
余談ながら先輩は鹿児島出身なのだが、自己紹介するまで僕のことを同じ鹿児島県民だと思っていたらしい(顔立ち的に)。鹿児島は好きなのでとても光栄なこと。
47都道府県で一番女の子が可愛いのは鹿児島だと思う。
それ以降の旅でのゲストハウスライフは弊ブログでも紹介してるから割愛するとして、留学中に台湾国内を旅した時もゲストハウスに泊まっていた。
台中のゲストハウスは普通のシティホテルの一角を使っているので、コモンスペースや水回りがとても清潔。
酒で有名な宜蘭の近く、羅東のゲストハウスはガレージみたいな超大箱ホステルだった。
たまたまかもしれないが、トースト以外におかずの種類が多いゲストハウスと巡り会えたのも良い思い出。
それにしても、この頃から僕はフライドポテトと伊坂幸太郎だったんですね・・・
安いから泊まるのではなく、旅先での一期一会、宿で知り合った旅人と一緒に飯食ったり観光したりみたいなセレンディピティの素晴らしさに気付けたのはバナナホステルのお陰。
残念ながらシェアハウス専業になったみたいなので再び泊まることは叶わないのだが、今でも目を閉じるとコンクリの冷たさと台所の臭い、バナナケーキの甘みやそこで出会った人達が頭に浮かぶ。
この先どんな素晴らしい宿に泊まっても、バナナを超えることは決してないだろう。
そして大半の出会いは文字通り一期一会で終わっちゃうのだが、N先輩のように何回かでも再会できた人達とは、これからずっとお付き合いしていきたい。